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サッカー・菅野孝憲の「這い上がる力」~ハンデを乗り越える秘訣は?~

 スポーツ雑誌「Number」805号の印象に残った記事についてです。

 
Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2012年 6/21号 [雑誌]Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2012年 6/21号 [雑誌]
(2012/06/07)
不明

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 今号の特集は、サッカー欧州選手権「ユーロ2012」でした。
 4年に一度の欧州チャンピオンを決める大会。欧州だけでなく世界中が注目する大会です。
 クリスティアーノ・ロナウド選手ら、世界を代表する名選手が誌上を賑わせています。

 そんな中、1人の日本人ゴールキーパーに関するコラムが目に留まりました。

 その選手とは、J1の柏レイソルに所属する菅野孝憲選手です。
 身長179cmと、ゴールキーパーとしてはかなり小柄です。
 しかし、一度試合が始まると、抜群の反射神経と接触プレーを恐れないガッツでゴールを守ります。
 その鬼気迫る姿がとても印象的です。

 そんな菅野選手には、プロのゴールキーパーになってからずっと、欠かせない“儀式”があるそうです。
 その“儀式”とは、試合を終えた夜に近所の焼き肉屋でカウンターテーブルの一番隅に座り、ひとり激戦を振り返ること。
  

  勝敗がどうあろうとも、携帯には出ず、メールも返さず、ただただプレーのことだけをひとり想うのだ。
 「見に来てくれた人や家族、選手と一緒に飯を食えば、サッカーの話にもなるし、感情的に人と話すのも嫌だし、その試合をひとりでゆっくり振り返りたい。そこで身心をクールダウンさせ、それをひとつのスイッチとして、全部切り替えるんです。次の日に持ち込まないように」


  「Number 805号」に掲載のコラム 『ゴールキーパーの孤独。』 より  一志治夫:文  文芸春秋社:刊


 今でこそ、Jリーグを代表するゴールキーパーに成長した菅野選手ですが、ここまでの道のりは決して平たんではありませんでした。

 菅野選手は、小学校4年生の時、ヴェルディ川崎のジュニアユースに入団します。
 初めてサッカー観を変えるような大きな転機が訪れたのは15歳の夏、スペインで行われた少年サッカーの世界大会「ナイキプレミアムカップ」に参加した時。ここでスペインの強豪バルセロナと対戦しています。
  

  この大会で得点王とMVPを獲得したバルセロナのアンドレス・イニエスタのゴールは、菅野にとって初めての海外で受けた洗礼だった。ワンツーから放たれたシュートはタイミング、強さとも完璧だった。インフロントで巻いてポストに当たって入った弾道をいまも鮮やかに覚えている。
 ~
 「世界のサッカー界での自分の立ち位置って、思っていた以上に下なんじゃないか。サッカーの実力だけではなくて、自覚や人間性も兼ね備えてないとトップにはいけない」


  「Number 805号」に掲載のコラム 『ゴールキーパーの孤独。』 より  一志治夫:文  文芸春秋社:刊


 その日から菅野選手は“世界”を意識することになります。そしてヴェルディユースに昇格後、ますます練習にのめり込み、ゴールキーパーという仕事に磨きをかけていきます。

 ヴェルディユースの当時監督を務めていたのは、元日本代表の都並敏史さんです。
 都並さんは、菅野選手の練習熱心ぶりだけでなく、物怖じせずに次々に進言してくる度胸の大きさに衝撃を受けるとともに、絶大な信頼を寄せたといいます。
  

  (都並)「何より自分で生きていこうとする力と、自分を出していくメンタリティがすごかった。日本人は心技体の心の部分が足りてない選手が多いんだけど、彼は技術、体力は申し分ない上に、心の部分がずば抜けて高かった」

  「Number 805号」に掲載のコラム 『ゴールキーパーの孤独。』 より  一志治夫:文  文芸春秋社:刊


 と語っています。

 都並選手も、周りも、もちろん本人も、高校卒業後はヴェルディのトップチームに上がっていくものと確信していました。
 しかし、彼のトップチームへの入団は認められることはありませんでした。
 理由は、やはり「背が低いから」。ここでも体格的なハンデが彼の前に立ち塞がります。
 180cmに満たない身長は、たしかにゴールキーパーとしては大きなマイナス評価の対象となります。
 プレーを見たことがない人は、その身長だけで不適であると判断してしまうのも仕方がないところもあります。

 しかし、菅野選手は大きなショックと挫折感を味わいますが、それでもプロになる夢を諦めませんでした。他のJリーグのチームに入団できないか、可能性を探り続けます。

 最初に声を掛けてきたのは、J2の横浜FCでした。
 当時、横浜FCのゴールキーパーコーチを務めていたのは、浦和レッズで同じくゴールキーパーとして活躍した田北雄気さんです。
 彼は菅野選手を一目見て、他選手と違う気迫を感じたと言います。
  

  田北が振り返る。
 「高校を出てプロに入ってきたときに、一番差のあるポジションがキーパーだと思うんです。だけど、菅野のキャッチングはすでにプロレベルだった。普通、高校出の子は、ポイントが決まってなかったり、不安定だったりするんだけど」


  「Number 805号」に掲載のコラム 『ゴールキーパーの孤独。』 より  一志治夫:文  文芸春秋社:刊


 やはり、見る人が見るとホンモノとそうでないモノの差はすぐに分かるのでしょう。
 
 続いてJ1のベガルタ仙台のセレクションを受け手応えを感じますが、結果は不合格。
 実力では絶対に自分の方が上である、という確信があったので、余計に悔しかったと言います。
  

  しかし、このとき同時に自己評価と他人の評価はこんなにも違うんだということにも気づいた。
 「あそこが転機だった。現実を受け止めて、自己評価と人の評価が一緒になるよう努力するしかないな、それが本当の評価なんだと18歳で気づけたことが大きかった。」


  「Number 805号」に掲載のコラム 『ゴールキーパーの孤独。』 より  一志治夫:文  文芸春秋社:刊


 と述べています。
 彼は、ゴールキーパーとしての実力が、必ずしも単純に自分自身の評価へ繋がる訳ではないことを思い知ります。
 そして、「背が低い」という体格のハンデも実力だし、「背が低いからゴールキーパーに不向きである」という偏見を打ち破り、そのレッテルを剥がすことも自分の実力なんだということに気づくことになります。
 「背が低いから・・・」という周囲の声を実力で封じ込めるべく、より結果にこだわるように意識が変わったのだと思います。

 菅野選手は03年春、横浜FCに入団します。その後順調に成長を続け、レギュラーを獲得します。
 そして、06年に横浜FCがJ2で優勝し、J1へと駒を進めます。
 この時、菅野選手は770分無失点というJ2新記録を打ち立てています。
 ゴールキーパーとして成長する上で田北さんとの出会いが大きかったと言います。
  

  「どれだけ過去の失敗や後悔、未来への不安を消し去って、いまのプレーに100%集中できるか。ミスをしない選手はいないのだから、ミスをしたあとが一番大事。気持ちを引きずらないことだ」
 「選手は他人の評価をするな。特に同じポジションのやつのことは言うな。自分のことだけを考えていればいい」
 「ゴールキーパーはリーダーじゃなくちゃいけない。グラウンド内でも外でもそれは同じ。グラウンドの外で信頼できないような行動をしている人間をグラウンドで100%信頼できるか」
 田北からの薫陶はいまなお菅野の中で息づいている。


  「Number 805号」に掲載のコラム 『ゴールキーパーの孤独。』 より  一志治夫:文  文芸春秋社:刊


 07年、横浜FCは1年でJ2へと降格しますが、菅野選手はその中で孤軍奮闘、新人王も獲得します。
 08年春、J1の舞台で更に飛躍すべく新天地に選んだのは、柏レイソルでした。
 このシーズンの途中で、レギュラーを勝ち取った菅野選手は現在まで、一度もレギュラーの座を守り続けています。
 11年には、柏レイソルはJ1リーグ優勝を果たしましたが、その原動力の一人は間違いなく菅野選手でした。
  

  「常に危機感を持っている。試合が終わったら、次の試合のレギュラー争いは始まっていると本当に100%思っている。きれいごとではなく。いままで10年間、レギュラーという気持ちでサッカーをやったことは一度もない」

  「Number 805号」に掲載のコラム 『ゴールキーパーの孤独。』 より  一志治夫:文  文芸春秋社:刊


 プロで試合に出場することの幸せと大変さを誰よりも身をもって知っている菅野選手ならではの厳しいコメントです。
 その厳しさは、ライバルの選手や相手チームに対しても向けられますが、それにも増して自分自身に対して向けられています。自分自身のプレーに決して妥協を許さない姿勢が彼の絶対的な守護神としてのポジションを支え続けています。

 今シーズン、ゴールデンウィークに入る直前、菅野選手は、練習中にチームメートとセットプレーで激しく接触し、骨打撲を負ってしまいました。完治するまで、試合には出られません。
 当然、ポジションを奪われるという焦りや危機感は感じているでしょう。

 しかし、菅野選手は「昔みたいに、自分が出ていないから負けてくれ、活躍しないでくれという感情はなくなった」と言い、ケガを治して、コンディションを整えることに集中しているとのことです。
 彼がケガを冷静に受け止められるようになったのは、「レギュラー争いになったら、絶対に負けない」という自信と、数々の修羅場をくぐり抜けてきた経験から、より高く広い視点から全体を俯瞰できるようになった、心の部分の成長が大きいようです。
  

  「メンバー外の選手が下を向いているチームというのは、絶対にうまくいかないし、僕は勝っているチームのゴールキーパーでいたいんです。自分の評価を上げたければ、チームの評価を上げること。それによって、海外のチームへの扉や代表への可能性は広がっていくのだから」

  「Number 805号」に掲載のコラム 『ゴールキーパーの孤独。』 より  一志治夫:文  文芸春秋社:刊


 彼は、J1の強豪チームの正ゴールキーパーとなった今でも、向上心を全く失っていません。
 本気で、海外からのオファーを待っています。そして、そのための努力を怠ることはありません。

 体格や周りの偏見など、ある意味自分の力ではどうにもならない部分も含めて自分の実力であることを認め、全ての結果を自ら背負う覚悟を決めた時、初めて人は這い上がるきっかけを掴めるのかもしれません。

 サッカーの本場・欧州で、日本の小さなゴールキーパーが、大男相手にゴールマウスの前で奮闘する姿が見られる日が来るかもしれません。楽しみですね!

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浦和で生まれ、浦和で育った、浦和レッズ・サポ。

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